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嘘と冗談の境界

懐かしき、故郷を貫く鮎の川。
黄金郷を目指す者よ、これを下りて鍵を探せ。

川を下れば、やがて里あり。
その里にて二人が口にし岸を探れ。
そこに黄金郷への鍵が眠る。

鍵を手にせし者は、以下に従いて黄金郷へ旅立つべし。

第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ。
第二の晩に、残されし者は寄り添う二人を引き裂け。
第三の晩に、残されし者は誉れ高き我が名を讃えよ。
第四の晩に、頭を抉りて殺せ。
第五の晩に、胸を抉りて殺せ。
第六の晩に、腹を抉りて殺せ。
第七の晩に、膝を抉りて殺せ。
第八の晩に、足を抉りて殺せ。
第九の晩に、魔女は蘇り、誰も生き残れはしない。
第十の晩に、旅は終わり、黄金の郷に至るだろう。

魔女は賢者を讃え、四つの宝を授けるだろう。
一つは、黄金郷の全ての黄金。
一つは、全ての死者の魂を蘇らせ。
一つは、失った愛すらも蘇らせる。
一つは、魔女を永遠に眠りにつかせよう。

安らかに眠れ、我が最愛の魔女ベアトリーチェ。

「ベアトリーチェ」、「肖像画」と言えば、グイド・レーニによる「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」がありますね。イタリアの貴族として生まれた彼女は、ローマで起こった殺人事件裁判の主役でもありました。

ベアトリーチェの父、フランチェスコはその暴力的気性と不道徳きわまりない行動から、教皇庁裁判官と度々悶着を起こしていたといいます。また、妻や息子達を虐待し、快楽のはけ口をベアトリーチェの体に求めていました。

そんなある日、フランチェスコがとある罪で投獄されます。ですが、すぐに釈放されてしまいました。貴族という身分であったからです。
その時彼女は、頻繁に受ける虐待を当局に訴えました。その事を知った父は、彼女と妻を田舎の城へ追放しました。
ベアトリーチェを始めとする家族は、こうなったら父親を亡き者にするしかないと決心し、全員で計画を練りました。
一度目は、二人の召使いの助けを借り、フランチェスコに麻薬を盛りました。しかし、不運にも死に至らしめることは出来ませんでした。仕方なく、家族全員が金槌で父を撲殺し、死体はバルコニーから捨てました。
ベアトリーチェは事故死と主張しましたが、誰もそうは思いませんでした。計画が露呈し、彼女を含む、計画に参加した人々は皆逮捕されてしまいました。そして有罪判決を受け、死刑を宣告されてしまうのです。一般のローマ市民は、殺人の動機を知って、裁判所の決定に抗議しました。しかし、処刑が延期されるだけに止まってしまいました。

処刑の直前牢屋の中にいた彼女を、チェンチ家と関わりの深かった枢機卿がグレイド・レーニに描かせたのが、「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」なのです。

1599年9月11日、サンタンジェロ橋の広場で、ベアトリーチェと一族の処刑は執行されました。広場に集まっていた民衆は怒りと興奮で騒ぎ出し、多数の死傷者を出したといいます。

と、全く部活に関係の無い話を書きましたが。まぁいいんじゃないんですかね。偶には歴史のお勉強も。

φめぬーφ
短長・投擲以外:
200x2x2、ウェイトを含む補強?
短長:
コーナーSD、200+150+100
投擲:
投げ、ウェイト

以上。
本日は、黄金の魔女「ベアトリーチェ」がお送りしました。
嘘ですよ?

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